鮪の中落ち

かくことは、痕跡を残すことと見つけたり。

今すぐ引き返しなさい。

かつて書いていたはてなダイアリー

鮪の中落ち

が2008年に北方領土に行ったときの写真で終わっていて、それからはてなはブックマークの利用だけだったので、100文字以上の文章を書くとすれば6年ぶりになる。はてなダイアリーを見返すと2005年から書いていることになっているが、実際は一度書いていたものを消していて、それを加味すると2003年くらいから始めていたので、はてな暦は10年を超えている。古参っちゃあ古参である。過去の人力検索履歴やアンテナ、ダイアリーやはてぶを見返してみても、死んでしまった人、去ってしまった人、残っている人がいて、はてなも残っている。重畳である。継続は力なり。まさに。

 

なぜ一回消したかというと、学生から社会人になったからだったはずだ。学生のときに無責任無分別に振る舞っていた自分への羞恥、あるいはリスク管理、そういうものの結果、電脳空間からかつての若かりし日にかいたものの痕跡はとりあえずはなくなった。ただ、かつてのはてなにはダイアリーを書籍化できるというおしゃれなサービスがあり、削除する直前に書籍化したので、どんなことを書いていたかは手元には残っている。たしか4000円くらいしたと記憶している。はてなに金を払ったのはその時と、あと何かの災害のときに1万円をはてな経由で寄付したのの二回だけだ。スターなんて買うやつの気が知れない。あれはポトラッチではなく、マーキングだ。肌美精化粧水を電柱の根元に振りかけるがごとき行為だ。止めはしないが、その程度の愚行だ。

 

アイコンにしているねこは03年当時からいて、今もいる。まさに足元で不平を述べている。

 

ご飯がなかったようだ。補給完了。

 

はてなの前会長が亡くなったとき、われわれにとっても同様の瞬間が遠からず訪れるだろうし、はてなになんらかの変質がおこったであろうことについて考え、われわれにとってもなんらかの変質がもたらされることをちらりと予期した。そのこれからを考えることは決して楽しいことではないのだけれど、かつてダイアリーで書いていたこともやはり暗くて、未来の衝撃の一部をすすんで今の身に受けておくことの奇妙で臆病な性向について再確認した訳である。

 

その性向に端を発した欲望、すなわち書きたいことがあるから、こうして6年ぶりに引っ張りだして来た訳だけれども、その書きたいものというのでまず思いついたのが、日本の難民認定率、再配分後の格差の拡大、家計における学費負担の増加、教育に対する公的支出のGDP比の世界比較、報道の自由男女平等人権等ランキングなどをまとめて「日本人が知るべき指標5選」とか人気エントリー風にまとめるやつで、やっぱりどうしようもなく暗いのである。興味があるならそれぞれ調べるといい。あと消費税。10%になることがどうやら決まりそうな雰囲気で、MOFの局地的有能、政治家の無能、大本営発表集団自殺的メンタリティ、とにかく日本人のいろんなことに絶望して、ローンを組んで買って3年あまりの家を売る契約をしたくらい、もうだめなんじゃないかというところで、そのだめさに目を向けさせたく、執拗に書きたい欲望が抑えきれなくなってきたのだった。

 

でも、書いててそればっかりというのはどうなんだろうとも思うので、そういうのだけじゃなくて、表現とか、ジャーナリズムとかについてもちまちま下書きしておいて、できればありきたりじゃないものを出していきたいなと思いながらもそればっかりかんがえて奇をてらうこともせず、やっていくつもりで。

 

雨が降ってますが、蕎麦を食べにいきます。蕎麦の中にある宇宙に触れると、まだ大丈夫なんじゃないかという思いを抱いたりもする。